③講座を受けたり、読書して得たことをアウトプットしてみます。〜千と千尋の神隠し
少し日にちが空いてしまいました。
日々はあっという間に過ぎてしまいますね。
朝起きて、会社へ行って
仕事して、子どもを迎えに行って、夕飯を食べて身支度整えて、たったそれだけでぐったり疲れてしまいます。
それでも、30代である今、私はだいぶ生きやすくなったように思います。
思い返してみれば、10代、20代は、生きるのがしんどかったように思います。
10代までは、良くも悪くも親元で育ちます。
20代は、親元を離れ、たった1人で社会の荒波の中を泳ぎ続けます。吹きつける冷たい雨風、流されて、溺れそうになりながら、傷だらけになりながらも、なんとか岸まで泳ぎ続けたように思います。
社会で生きる力を培いました。
30代になると、多少の暴風雨では驚かなくなりました。耐性ができたのでしょう。強く逞しくなったのでしょう。ふてぶてしくなれたのでしょう。そして、諦めも学んだのでしょう。
しかし、まだまだ不安はつきません。人それぞれに不安に感じやすい度合いがありますから、私という人間は、人並み以上に不安を抱えやすいのかもしれません。
そもそも人間というのは、悩むことができる高尚な生き物なのですから。悩んでナンボです。悩んで落ち込んでいる場合ではなく、悩んだ自分に酔いしれながら、思考錯誤して、現実である明日を生きやすくしていくだけです。(そんなふうに開きなおれるやうになったのも年の功ですねー
今でこそ、社会的にまともな職業を勝ち取り(?)それもAI台頭により、危ういですが)、結婚もして、(結婚生活は、色々問題ありますが一応は)、子どもにも恵まれて、いわゆる30代として、確かな手応えを感じるに至りますが、さりとて暗黒・不遇の10〜20代を思い返すと、今でも鬱々しますね。
このブログを書いていて、思い出したことがありました。前回、自傷行為や非行をせずに生きてきましたというようなことを書きましたが、実際には人様にはやすやすと言い難いこともしてしまったように思います。
記憶から消し去っているのですから、人間は都合の良い生き物だと思います。
つまりは、一歩間違えれば、自分も奈落の底に落ちて、一生暗闇の世界のまま、絶望感に苛まれて生きていたのかもしれないということです。
10〜20代というのは、それくらい不安定なんです。
OD(オーバードーズ)や、リストカット、犯罪まがいなこと、性的なことなど、まるで他人事のように見えますが、そんなことはありません。常に自分もその陰気な病み(闇)に溶けてしまう危険を孕んでいるということです。
だからこそ、いつも心の支え、居場所が必要なのだと思っています。
いつも何度でもの歌詞から、生きることを考える
さて、千と千尋の神隠しに話を戻します。
この映画は、主題歌も素晴らしいのです。
映画『
千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」は、悲しみや過ちを繰り返す人生の中でも、内なる自分を信じて前に進む希望を歌った曲です UtaTen。覚和歌子作詞による、命の尊さや自己肯定感、何度でもやり直せるという優しく力強いメッセージが込められています。
歌詞の意味と考察ポイント
- 「呼んでいる胸のどこか奥で」:自分自身の本心や、もう一人の自分(ハイヤーセルフ)が、正しい方向へ導こうとしている感覚 NAKISURF,。
- 「繰り返すあやまち」:生きていく中で避けては通れない、つまずきや愚かさ。
- 「ゼロになるからだ」:一度すべてがリセットされても、また新しい自分としてやり直せる、という希望 note。
- 「命はいつも美しい」:悲しみがあろうと、すべての命は等しく尊いという肯定。
この歌は、絶望の淵にいても、自分自身が最大の理解者となり、何度でも生き直す力を与えてくれる人生の応援歌として解釈されています UtaTen, NAKISURF。
つまりは…
自分を肯定してあげましょう。
自己肯定感低いのは、私も同じです。
だから、つらくなる気持ちよくわかります。
大人になったので、私は子どもたちを褒めまくるし、ありのままの姿を認めてあげられるよう寛容であることを心がけます。
生きていれば、過ちはあります誰にでも。
生きていれば、つらいこともあります。
でも、誰かは必ずあなたを見ててくれていますからね。
1人で抱え込むことはないのです。
そして、人間以外にも生きとし生ける命がありますから、人間の考えや人間の思考回路にとらわれすぎる必要はないということです。
自然への畏敬を常に心がけ、人の道にて、過ちがあって、自分の愚かさに失望し、呆れ、絶望することもあります。悲しみもあります。
でも、自分を信じること。
人生や命は、そんなもんだと受け入れることです。
陰気な気分になり、そんな孤独を誰かと埋め合わせたくなる気持ちはわかります。オーバードーズや、人の道に外れてしまう邪な気分に覆われて、何かをしでかす魔が差し込むことはあるでしょうが、命を奪ったり、なくしたりはしてはいけませんからね。
落ちたとしてもまた、浮上して、何時でも繰り返していけますからね。
そんなふうな声かけをしてあげられる大人でありたいです。