とりとめのない話
せっかくの人生だから、何か大それたことをしてみたいとか、崇高な想いやら、信念、使命感などがあればいいものの、良くも悪くもそういうのはないまま生きてきました。
あれこれ、ネチっぽい気質は、変わらないのだけれど、ネチっこく生きるのもまた疲れる。奇跡的に子どもが生まれ、育児をしていると、ねちっこく思考を練り練りさせる暇がないため、留まって、人としてはかなり鈍化する。
女性の方が、あらゆることを制御できるのは子育てのおかげでもあるし、制御きかなくなるのもいっぱいいっぱいになるからではないだろうか…。
何が言いたいのか?
結局、私個人としては凡庸コース。
今まで個人として何か夢想していたことは特に果たされなかったとしても、ま、いいか。誰も求めてなどいないし、何がなんでも追い求める必要性も感じない。結局、凡庸、平凡な思考がベターとなる。
そこで、今は子育てに専念し、子育てに関しての情報を集め、子育てにまつわるトークが中心になり、その範囲内にある視野で手に取りやすい情報と、ちょっと欲をもって優位に立てれば御の字くらい。そんなふうに考えが進行しています。
子持ちでなければ、私はいまだにネチネチと何かを企み、空回りし、自己嫌悪し、もがき、あがき、卑屈路線のまま生きていたかもしれないし、その情け無い暗いトンネルを必死でくぐる中で、私という個性がちゃんと滲み出て、人によっては、そんな私を面白がってくれたりもしたのかもしれません。
はたまた、何か世に貢献できたのかもしれません。それはたらればの話ですが、つまるところ何か面白味のある人でありたい。人間くさい、人間味がある。何か特別さを持った人になりたいなどとそういう浅ましい欲は塗りたぐられていて、なかなかおちません。
今は当たり前のように子育てをしておりますが、それまでは、私も”そっち側”にいきたかったのです。あがいてもがいて失敗して、失ってなどを繰り返し、たどり着いたわけです。
この積年の想いがあるからこそ、我が子の愛らしは格別なわけで、もうそこにたくさんの感謝と幸せを感じる毎日です。
他になんの幸せがあるのかわからないです。私の今後の人生は、我が子を筆頭に、子どもに愛を捧げる人生にしたいとそれは最近秘めております。
ただ、様々な環境要因があり、理想と現実はありますが、日々の生活の中に何かしら、未来の自分のためのことをしていきたくて。
全ては子どもと過ごす時間のためにあれこれ悩んでいこうと思います。✨✨