2025.1/22-23 子どもに納得してもらおう!
1/22 某幼稚園の園長先生が向き合ってくれて、色々とお話をしてくださった。
うちの子が、イベント終了後に幼稚園のおもちゃ(車)を離さず、お部屋から出たがらずに、ずーっと車🚙を走らせていたのです。
さすがに帰らないと…私が帰ることを告げても、車を手から取り上げようにもぎゃーぎゃー大騒ぎで、大変でした…。
園長先生は、うちの子の癇癪をむしろ褒めてくださりました。
この子は、こだわりが強いけれど、これが後に強みになるよ。
無理やりやめさせたり、強制や力づくでは、反抗されるだけ。
納得させましょう。
納得?
なっとく?
なっとく?
私の頭の中に、納得というワードが浮いていました。
この時計の針が12時になったら、お部屋の電気をパチパチ消します。サヨウナラをしたら、おもちゃを返して帰りましょう。
それまでは楽しく遊んでいいよ。
と分からなくてもきちんと説明をして、相手に納得させるように努力する必要があるとのことでした。
子どもがそれらを理解し、納得するとこだわりの部分だけは保ちつつも切り替えがうまくいき、非常に賢い子になると…
なるほどおおおおお。
私は、帰り道、そして寝る時や次の日もずっとそのことを考えていました。
納得かぁ。
そういえば、私は幼少期から何か受け入れられないことを納得して次のことに進んでいただろうか…と。
おそらくNoである。
転校を繰り返していたのもあり、人間関係が深まる前にさっさと転校させられて、また0から人間関係を構築し、あったまった頃には転校だし、面倒な人間関係と向き合えないままだったし、何かとお金がないことや、父親の機嫌伺いだけで、我慢と諦めと、無常と、どうせ何をやっても…とか、これをやりたい。もっと〜がしたいという要求自体をなくすことだけを強いられていたなぁと思うのです。
納得する前に、これがやりたい!あれがやりたい!
そういう自分の気持ちすら否定、完全拒否されていたため、私は自分の子どもの車のおもちゃで遊び続けたい何がなんでも!という子どもなら本来あるはずの真っ直ぐな欲求を受け入れられなかったのです。そもそも自分にはないから。
納得いくまで、親が向き合ってくれたのか?
今、こうでああでこうでこうだから…という説明をしてくれたのか?
答えは、Noだ。
納得だ。
私は腑に落ちたのであります。
そこから、次の日から子どもの目を見て、車おもちゃで遊びたい気持ちをしっかり受け止めてあげつつ、ご飯の時はいったん遊ぶのをやめようという交渉をすることにした。
子どもだけど、1人の人間であります。
きちんと説明すると、子どもは渋々ながらも受け入れてくれるのでした。
これはかなり嬉しい出来事でした。
私は、自分がした交渉や説明の労力を注いだこの事実こそが重要であり、話した内容などはきっと完全に理解できるはずかないのであることもわかりました。
それでも1歳半でもちゃんと分かってはいます。
自分が車をこよなく愛していること。
それを母は分かってくれていること。
ご飯の時は、ご飯なのだということ。
きっとこの先も色々ある。
説明するにもエネルギーがいる。
こちらに余裕がないと、子どもの手から車を取り上げて、怒鳴ってしまう場面もあるかもしれません。(基本的に、自分の家庭は恐怖心や諦め、抑制などで封じ込められていました)
少しでも、子どもの納得のためにきちんと歩み寄り、受け入れて、理解してもらうというプロセスを惜しんではならないということを学んだ日でした。
園長先生、そして、我が子よ。
私の成長に光を与えてくれてありがとう。
我が子よ。
これからもどんどんきてね。