2022.5.8 ,9 生物的な嗅覚

私は、人間性をすごく気にしすぎる性分です。

人間は、所詮、地球上に生存する数多生物の一つにすぎないと思っています。

人間とそれ以外の生物とは何が違っているのでしょうか?

野生動物は縄張り争いをはじめ、自分が食うか食われるか?といった弱肉強食の脅威に日々晒されながら生きています。

その点、人間は理性的な生き物であるため、共同体として他者を脅かさないように生きていくことを選びました。

物々交換を経て、人が人を信用しその関係性を維持していくことを自覚してきたのです。貨幣経済なるものが誕生して、信用経済が今日に至ります。

(端折りすぎですね)

自分達が食べられない代わりに相手も食べない。物事をギブアンドテイクで成立させてきた人類の歴史があるわけです。

そういうことは学問として得られる至極当たり前な話であるし、皆、一様にそう考えていると思っていた私でした。

しかし、大人になると、そうではない”人達”が存在します。

関わりを避けなければ自分が或いは自分たちのコミュニティが脅かされるようなやばい人間が一定数います。

人間同士の世界ですから、群れで生きたり、理性的な動物であることは大前提です。しかし、その前提を度外視しており、関わってしまうと、吸血鬼のように何もかも吸い付くされてしまうような危険があるわけです。

ちょっと危ういなと思ってしまう本能的な嗅覚は私の中で敏感に働いております。

それはかつての私が”それ”だったからかもしれません。

フリーライダーや、くれくれちゃん。とにかく貰うだけ貰ってお返しをしないでふんぞりかえるような人間でした。

恋愛や友人付き合い、会社でもフリーライダーは存在します。

目に見える形ある物の他、お金、知識、労働力、アイデア、技能、サービス精神などそういったものをどんどん人から奪い去るだけ奪って、自分からは与えない。返さない。施さない。奪うだけ奪って疲弊した人からあっさり次のターゲットに乗り換えるような人でした。

教えてもらっても自分からは教えない。誘ってくれても自分からは誘わない。ふんぞりかえっているだけ。お呼ばれした席でも会計時にじっとしていたり…

本当に最低な人間でした。

人は自分がしてきたことがそのまま人生に反映してくるのではないかなと思います。

私は友人関係が活発ではありません。誘われても断ったり次に自分が誘ったりということはないからです。

浅ましい思考に気付いた頃は、自分の周りに人がいなくなってからでした。

今、少なからず友人として繋がり続けてくれる心ある友人、そしてかけがえのない旦那ちゃん❤️🥺本当に大切にしなければなりませんね!

教訓ですが、他人からギブしてくれてもテイクしない人は避けた方がいいということです。

いえ、絶対的に避けなければなりません。

ギバーとテイカーとマッチャーという言葉があり、人間に振り分けることができるのですが、現状、私はマッチャーになってこれたかなーと思います。

あまり両親のことは言うべきではありまさんが、正直彼等はテイカーです。もらうだけもらって自らは返さない人達です。

そういう反面教師をある意味では見習って私はギバーになりたいと思っています。

テイカーが最終的にどうなるか?というのは多くの悲惨な事件が物語っております。

そして、テイカーには共通の言葉や態度、ラインのアイコンなどでわかります。ここではあえて語りませんが、職場にもフリーライダー的な人はいます。どこにでも潜んでおります。

そして、人は人を食べない代わりに(今もいるかもしれませんけどね。昔とかね)人は人を食べない代わりに、定期的に人同士が自分達をサッショウしあっているのも不思議ですよね。(よくない言葉はあえて漢字は避けております💦)

人間でいることに時折、疲れてしまう時があります。

生き方も気をつけなければなと思っています。

今日は、少しシリアスなお話でした。

今日は旦那様に何かお返ししようと思うのです💖🥺💖

日記

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