2023.5.15 ☔️
にいちゃんと4年ぶりの再会、やっと旦那ちゃんを紹介できた✨
私は両親とは縁を切った。
だから今は、祖母と兄だけが私の血縁関係だ。その2人だけが信頼を置けるし、唯一の拠り所である。(自分の幼い頃を知り、同じ環境下で育った事実を共有できる者でもある)
にいちゃんがいたから、頑張れた部分は多いにある。
にいちゃんを見て、リスクを回避してきた部分は多くある。(進路を決める時とかね…)
2年先を行く存在をいつも見ていたから、掛け算九九も抵抗なく攻略できた。漢字やら、英単語、歴史などもにいちゃん経由で先んじて習得してきた。そこら辺にある教材をみたりしていたからだ。
それはもういい。
とにかくうちは、父がすこぶる厳しかった。元ジエイ隊あがりということもあるのだろう。父はどこかズレている。勿論、それも思想なのかもしれないけど、マジョリティになるな!と…。
とにかく、手を上げる。暴力?武力でもの言う場面は多かったです。子どもに対してする行動ではないと思っておりましたよ。理不尽な物言い、上に刃向かうことは許さない。独自の見解を一方的に押し付けてくるので、子ども達の主義主張など一切受け入れられませんでひた。ジエイ隊イズム、ジエイ隊のシステムをそのまま家庭に持ち込むという迷惑な教育?でした…。(もちろん感謝も多少はありますけども)
そんな両親の下、兄と妹である私は必死で耐えてきました。
互いに庇い合い、時には裏切り?(軽度のね)などなど。
兄は、18歳の時にさっさと家を出てしまいました。(そりゃそうだ)
出ていってしまった日の夜は、よく泣きました😭
私が17才になる頃でしょうか…高校1年生の3月。
春先でした。高校3年の卒業式が終わるやいなやさっさと家を出ていく兄。兄はドライな人でしたから、妹にお別れも何も言わずにそそくさと立ち去るもんで、泣く時間、別れを惜しむこともないまま東京へ行ってしまいました。
心細い春🌸でした。桜がヒラヒラ舞うのをぼーっと眺めては、泣いちゃいましたね…(懐かしい)
そんな状況でしたから、自分と向き合えたのかもしれません。兄という拠り所と離れることによって、自分の意志をもち、自分の足で立つ!ことを自然に身につけることができたのかもしれません。
暴力と理不尽の塊りのような父と無気力気味な母。(後に母な脳内出血でぶっ倒れます)
子どもの将来など期待などせずに過ごす彼らと過ごさなければならない期間はとても孤独でした。
さて、前説はそんなところです。
なんやかんや紆余曲折ありながらも、やっとにいちゃんに会えましたー!🥺🥺✨✨✨✨
私の旦那ちゃんと顔合わせが実現できましたー!やったああああ!🥺🥺✨✨✨✨
うちら夫婦は、結婚式とか挙げられなかったですし、コロナもありましたし、よくある家族像ではないので両親と私たち夫婦。兄と私たち夫婦。
個別に会うといったところで、兄と旦那ちゃんが初めて顔合わせができて心の中のものがすーっと流れるような感覚がありました。よかったよかった💖
出産後にまた会ってね!と言ったら、わかった!といってくれて、食事の時にも終始笑いが絶えなくてほんとうに有意義な時間を過ごすことができました!
thank you for my brother and my husbnd✨✨
食事の後は少し晴れ☀️たのも嬉しかったです💖
さて、旦那ちゃんが左脇が痛いと言ってきたので様子を見たいと思います。嬉しいことがあってまた心配ごともありて…