前回のつづき 心のモヤモヤ
前回の続きです。
両親の件でグチグチしていた自分の心のモヤを
消化したい、いや昇華させようというお話です。
ちなみに、消化と昇華について
【消化】
- 1.
《名・ス自他》体内にとり込んだ食物を吸収可能な液体状にし、細胞が利用できる形態にする、生理的な働き。こなれること。こなすこと。 「―不良」- 2.
《名・ス他》十分よく理解して自分のものにすること。するべきことを十分に処理すること。 「日程を―する」
昇華は
しょうか
【昇華】
《名・ス自》
- 1.
固体が液体になることなしに、直接気体になること。- 2.
ある状態から、更に高度な状態へ飛躍すること。「気持ちを昇華する」は、不満、怨恨、劣情などの気持ちを他の価値のある社会的に認められた行為に向けることで解決を図ることをいいます。
と、まー言葉の意味はそれくらいにします。
家を出てからの約15年間、両親から私への無関心に対する憤り、不満、さみしさに対し、自分の中で心の折り合いをつけたいわけです。
大学合格・卒業、成人式、社会人生活、結婚、妊娠というライフステージを歩んでいく過程で、世間の人達は、親族達に祝福され喜びに満ち溢れる光景があるかと思います。
しかし、私は皆無でした。
ライフステージにおける親子関係について、世の中と自分とギャップに苦しんできました。
何故、祝ってくれない。何故、喜んでくれない?
何故、何もしてくれないんだ?私の両親は…。希薄すぎるだろう。
常にその虚しさ、さみしさと悲しみと怒りが胸の奥にありました。
それでも長らくは両親のことを憎しむことはなく、愛はあるのだと無理矢理自分を納得させてきました。
が、いよいよその勘違いも終わりが見えてきました。
(話、長ぇえよ。。)
すみません。今回はもう少し長くなります。
続けます。
今回、妊娠がわかり私の親にしてみれば待望の孫!ができたわけですが…。
待望と謳っているのは私の独りよがりだったようです。当の両親は、なんら心理的変化が起きていませんでした。
残念というか、何故?何も感情が湧き上がらないのだろうか…と失望する私。
SNSでとりあえず接点がある母(先程、フォロー解除しましたが)のアカウント経由で母自身の手書き日記が公開されていたのを見つけました。
正月に両親と娘である私と私の夫と祖母(80)とニートの叔父で会ったわけですが、孫ができた!という超特大近況報告を放った私達夫婦でしたが、その日の母の絵日記には、こう書かれていました。
母(私からすると祖母)のお雑煮を食べました!いつまで食べられるかな…
(添えられるお雑煮のイラスト)
以上
でした。
え?
え?
ええええええええええ。
読んで腑に落ちたのは、ああなるほど。
もう本当にこの人の中には私は存在していないんだということ。
そのほかにも母が個人的にやっていることの個人ページ・プロフィールにも以前は子育て後になんたらかんたらという話がでていましたが、そこは一切省かれていて子育てしたという経験値も記載されていませんでした。
ああ、子どもと関わっていた人生も母にとってはもう終わったことで、精神的にも記憶からも徐々に捨て去っており、新たなマイノリティーに走っているのだなーと。
ここ数日、母とLINEをしました。
産後サポートを断るニュアンスのLINEを送りつけてくる母に対して私がめちゃくちゃイライラしていたわけです。
母に対して人格否定レベルのディスLINEを送ってしまっていたわけですが、母はフワフワとノーダメージでとんちんかんな返答だけ返してきました。
なるほど…。
娘に対して何も感情がないから娘からの執拗すぎる意地の悪いLINEすらもどうでもいいのだと…。ノーダメージ。
すごく納得できました。
おや?
この虚しすぎる感情…どこかで感じた記憶があるぞ…。
そう、恋愛だ。
昔経験した恋愛で、とんでもなく感情をぶつけあい、とことん相手と向き合った恋愛の末に破局しました。
それでも簡単には離れられず、何度か連絡をしたものの相手の男は、飄々としているような様子。
そう。返信はしてくれる。
だけど、リプライはあれど、テキストだけが表示されるだけ。
その文面にはこちらの熱量とは反比例する冷めた〜い薄っぺらいリアクション。
もうあなたへの気持ちは何もないよ?
という答え。
この答えに辿り着くまでに(いや本当はわかっているけど納得するのに)長い時間がかかりました。
ああ、これだ!
私に対して、もはや何も無いという無感の状態。
この気づきを学んだわけです。執拗に執着しても見苦しいだけ。
逆パターンもありました。
私に対して嫌がらせをしてきた人がおりました。一応、LINEも知っていたようで何かの集まりに行けないことを連絡したら、それはそれはロングLINEが私に送りつけられました。
私のことを否定しまくるディスLINEでした。
ただ、私はそれを読んでもムカつくとか言い返してやろう!とか許せない!という感情が起きませんでした。不思議です。
ふ〜んそうなんだーというクールな感情です。
おそらくそれです。母が私に対して思うのは、他人以下の感情だからです。
残念ながら個々の感情の欠乏はあり得ます。私も経験があり、やられるとめちゃくちゃつらいですし、何故そうなってしまうの?とストーカーのような執拗な感情に陥ります。被害者のような心理になりますが、それは自然現象なのです。
私も人に対して無感情になったことも多くあります。
でも、血縁関係ではそれはありえないと信じていましたが、それは起こりうるのだという気づきをえました。
これで、なにもかも説明がつきそうな気がしています。
物理的に死滅しても魂が残っていて、ずっと私を支えてくれる存在もいれば(亡くなったじーちゃんとか)
物理的に存在がありながら、何も影響しない育ての親もいます。
もうあなたには何の感情もありませんからね。というメッセージすら発動されない…。
18歳で巣立った時から、もう子どもがどうなろうと知らねぇ〜もはや子どもなんかいた事実すら抹消というのが結論です。
私が都会で一人で必死に生きてもがいていた時、心の支えや経済的支援が欲しかった時に大丈夫?という連絡すらもよこしてこなかった人達でした。
愚かな私は今、ようやく気がついたのです。
さて、いままではこのモヤモヤをどうにかこうにかして消化させてきました。でも、消化って、結局は消化不良のままなんですよ。
なんだか胃の辺りがムカムカするような日々でしたが、今はこの虚しさを昇華させていこう!というポジティブ思考になって変わっていきました。
だから何?ってわけではないのですが、親を意識して何かするのではなく、もうこちらも存在がないということで心機一転好き放題生きようということです!
新しく誕生する我が子から0→1ベースで。
思考を重ねていく。
THE beginning ✨✨✨✨
これまで、両親に向けていた私軸を両親は❌を引き、軸は自分にあり、子にあり、夫と未来にフォーカスさせていきます。
アダムとイブからこの世は形成されたというお話がありますが、まさにそれです。
自分達夫婦がはじまり(起点)となり、物語を構築していきます。
というちょっと自分の中の心の整理と決意表明みたいなお話でした!
読んでいただきありがとうございますー!